会長あいさつ

「あざみ野商店会に加盟していてよかった」と言われる商店会づくりは、「あざみ野に住んでいてよかった」と言われるまちづくりでもある。

皆様、はじめまして。あざみ野商店会共同組合(以下、当会)の理事長 黒沼勤でございます。

2018年より、前会長の金子光一氏の後任として、就任いたしました。

稼業は、黒沼食品という会社で、あざみ野駅近くで「そばくろ」と「オリバル」という飲食店を営んでおります。

1993年には、市営地下鉄のあざみ野駅が開業、さらに翌年1994年には緑区・港北区の再編で青葉区が新設という大きな出来事のあった時分に、自身も大学最後の年〜社会人一年生という時期でした。

それからの30年近い間には、大きな経済危機、戦争、自然災害などが幾度もおき、ホームページを新たにしようという今は、見えない敵 新型コロナウイルス感染症という脅威が、このあざみ野のお店を襲っています。

感染症対策としての外出自粛、営業時間の短縮などを余儀なくされた2020年4月、テイクアウトや出前を行う飲食店や食料品店をサポートするプロジェクトをスタート。さらに、加盟する小売店に対する前払い利用のしくみ「サキチケ」を先導するなどしました。この2つのプロジェクトは、青葉区のその他の商店会とも協力して区内全域で実施することができました。

その他、行政の力も借りながら、衛生用品を加盟店に配布したり、補助金の情報を回覧したり、一時金を給付するなど、この危機にあって、負けてしまうお店を一つでも少なくしようと、理事のメンバーが一丸となって取り組んできました。

そんな取組みを推進していくにあって、時折「商店会にいてよかったよ」という声や「こんな時だから、地元のお店が開いていてよかった。お店の情報を提供してくれてありがとう」という声をいただくことがありました。

前者は当然ながら加盟するお店の声ですが、後者は、あざみ野とその周辺にお住まいの住民の方からのお言葉です。

我々が取り組んだのは主に情報を必要な方に届けるということですが、これは、商店のためにも、地域の住民のためにも有益であるということを改めて実感しました。

今回、我々は「あざみ野商店会魅力アッププロジェクト」と題し、ネットに親しみのある方、ない方の双方に情報を届ける体制を強化していくことを、横浜市のサポートも得ながら推し進めています。

具体的には、フリーペーパー「AZA NEW」をできる限り多く配布していくこと。IT化が進んでいないお店も情報を発信できるようなホームページを作り上げることなどです。

長寿日本一、大学がいくつもあり、優秀でまちづくりに積極的な地域住民も多いと言われる青葉区において、アナログもデジタルも垣根なく、どんどん良いニュースを届けていくことが、こんな時代にあって、生き残れる術と確信し、これからも邁進していきたいと思いますので、皆様、ご支援、ご協力・ご注目をいただければ幸いです。

あざみ野商店会共同組合 ウェブサイトリニューアルによせて

あざみ野商店会協同組合理事長 黒沼勤

沿革

主な活動と取組み

理事紹介

あざみ野商店会協同組合とは

(横浜市青葉区あざみ野周辺地域)

加盟店舗数:52店舗(2017年3月現在)

賛助会員数:21店舗(2017年3月現在)

あざみ野商店会共同組合事務局

所在地:横浜市青葉区あさみ野1-24-3 正和ビル1F
電話番号:045-902-7823

・設立35年を迎える ”あざみ野” 駅周辺地域の小規模事業者(サービス業・小売業など)で構成される”商店会協同組合”。

「横浜市青葉区あざみ野」 街の位置

東京から南西に約20㎞に位置し、渋谷・横浜の両駅より電車で約30分という好条件の元にあり、横浜市内では北部地域にあたる場所である。

「横浜市青葉区あざみ野」 街の沿革

昭和14年1町4村(川和町、山内村、中里村、田奈村、新治村)が横浜市港北区に編入当時あざみ野は山内村の一部に属していた。
昭和30年代後半頃から東急電鉄による宅地開発がスタート、昭和42年には東急田園都市線溝口-長津田間が開通し、昭和 44年に港北区から緑区が分離、昭和51年にいよいよ緑区あざみ野が誕生。

昭和52年には「田園都市線あざみ野駅」がついに完成した。

その後平成に入ってからもあざみ野地区の宅地開発は順調に推移、それと並行して平成5年には市営地下鉄3号線が開通し、地下鉄あざみ野駅が完成である。

平成6年には緑区から青葉区と都築区が分離、「青葉区あざみ野」の誕生となり現在に至る。

今ではあざみ野は「アザミネーゼ」が優雅に暮らす町と呼ばれるほど一種のあざみ野ブランドのようなものが定着しつつある、横浜の郊外都市を代表する文化の香り高い、ふれあい豊かな町に成長。

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